工業製品で「愛」が付くものは他にはない、カンブリア宮殿「25兆円企業 トヨタ復活劇の真実! ~豊田章男 激動の5年~」視聴レビュー

2014年6月12日(木)放送のカンブリア宮殿「25兆円企業 トヨタ復活劇の真実! ~豊田章男 激動の5年~」を視聴しました。通常1時間のところ、1時間30分に延長されたスペシャル回です。それもそのはず、登場されたのは25兆円という日本一の売り上げを誇るトヨタ自動車の社長、豊田章男(とよだ・あきお)氏でした。

放送開始から9年目となるカンブリア宮殿、記念すべき第1回の放送で取り上げられたのが日本最大の企業、トヨタ自動車だったとのことです。豊田氏が社長に就任したのは2009年6月。その年はリーマンショックの影響で、71年ぶりの営業赤字をトヨタは記録します。

さらに翌年2010年には世界規模のリコール問題、東日本大震災、タイの大洪水、歴史的な円高などなど就任直後から苦難の連続。しかしそうした苦難を乗り越え、2013年度の決算では売上高25兆円と6年ぶりに最高益を更新しました。年間販売台数でもフォルクスワーゲン、ゼネラルモーターズ(GM)を押さえて世界で初めて1000万台を突破しています。

トヨタでは「もっといいクルマをつくろう」をコンセプトに、ピンククラウンがニュースになった新型クラウンやHV車のアクア、名車86の復活など新旧様々な車の登場につなげています。

そして豊田が掲げている企業のキャッチフレーズ、「FUN TO DRIVE,AGAIN」。このコピーは豊田社長の父である豊田章一郎氏が80年代に掲げていた「FUN TO DRIVE」を復活させたものだそうです。「車づくりを通じて社会に貢献する」という原点に戻る意思が働いているとのこと。

14年ぶりの創業家からの社長就任となった豊田章男氏は、創業者・豊田佐吉のひ孫にあたります。豊田佐吉が初めて世に生み出した製品は車ではなく、1890年当時は海外製しかなかった織機の改良版「豊田式木製人力織機」でした。効率よく品質の良いものを作るというのが、トヨタ物づくりの原点です。改善と改良を続け、1924年に佐吉が生み出したG型自動織機は日本初の輸出工業品となりました。

そんな佐吉の長男が、トヨタ喜一郎。喜一郎は社内の大反対を押し切って、豊田自動織機の中に自動車部を1933年に設立し、ゼロからの車づくりを始めます。父が築き上げた巨万の富を車作りに投じ、現在の豊田市にあたる愛知県挙母(ころも)市に1938年、日本初の自動車工場を設立します。豊田家の男たちは、常に自分の手で物を作ってきた歴史があります。

この10年で日本の自動車メーカーの国内生産比率は激減しています。今や全体の8割以上を海外で作るところも珍しくありません。そんな自動車業界における海外シフトの中、「国内生産300万台を死守する」と国内体制の維持を明言しているのがトヨタです。

自動車1台に関わるメーカーは、なんと1万社以上とのこと。例えば車に内蔵されているカーエアコンだけ見ても、約100部品、50社で製造しています。50年かけて作り上げた1万社の連携プレーと、継続して技術を身に着けてきた熟練工の存在が、豊田のものづくりを礎を担っています。

トヨタでは自動車産業の一大拠点を、大震災に見舞われた東北に作ろうと動いています。2013年には全寮制で1年間にわたり車作りを学ぶ人材育成の場、トヨタ東日本学園を宮城県に立ち上げるなど、東北の復興に向け本業での基盤づくりを行っているとのことです。

当ブログ管理人である自営業者KENの心に残った言葉があります。「愛車」という言い方を車はするが、工業製品で「愛」が付く製品は他にはないという豊田社長の言葉です。単に移動するだけのものではない、というのが車の持つ魅力なのだと思います。

トヨタ自動車株式会社は東証1部上場企業(証券コード:7203)。あまりに巨大すぎるため投資候補としてはこれまで考えてきませんでしたが、カンブリア宮殿スペシャル版を見て少し考えが変わりました。予算ができたら東北の地や日本のものづくりを応援するためにも、トヨタ株を買ってみようかと思います。

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